Recent Trackbacks

« March 2015 | Main | May 2015 »

April 2015

April 04, 2015

CAVOK通信 第15号

「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「

CAVOK通信 【第15号】

「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「

本メールは、日ごろお世話になっている方や名刺交換して頂いた方に向けて、
話題の提供として、また少しでもお役に立てればとお送りするものです。
今回初めて送信させていただいた方におかれましては、今後ともよろしくお願いいたします。

----------------------------------------

■ I N D E X ■
----------------------------------------
【1】 ご挨拶
  ---------------------------------------------------------
【2】 桜餅
  ---------------------------------------------------------
【3】 「身体が覚える」ということ
  ---------------------------------------------------------
【4】 編集後記
  ---------------------------------------------------------


---------------------------------
【1】ご挨拶
---------------------------------

桜の便りが聞こえる季節となりましたが、
みなさまいかがお過ごしでしょうか。
今回もこのような形で話題を発信いたします。
少しでもお役に立てれば幸いです。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

                            平成27年3月30日
               一級建築士事務所 CAVOK Architects

                                  土居 良助
                      e-mail QWH02474@nifty.com
             URL http://homepage2.nifty.com/CAVOK/

------------------------------------
【2】 桜餅
------------------------------------

「桜餅」という言葉がさす和菓子は一様でないことは、今では有名ですね。

ですが、私が子供のころから見知っていた桜餅は、つぶつぶ、しっとりの
餅の中にあんこが入っているもので、塩漬けの桜の葉っぱにくるまれてい
るものしかありませんでした。

これは、「道明寺」或いは「上方風」といわれているもので、道明寺粉を
蒸して餅を作ります。

道明寺粉は糒(ほしいい)のことで、道明寺で作られ糒は神前に供えた
もち米が原料で、特にクオリティが高かったためその別称となったよう
です。

この製法による桜餅は主に西日本、北陸、北海道、東北にみられます。

一方で「長命寺」或いは「江戸風」という桜餅があります。

クレープ状の薄皮を筒状、またはふたつ折にしたものに漉し餡を包み、
さらに桜の葉で包んだものです。

もとは、長命寺の門番・山本新六が餅を塩漬けの桜の葉に包んで門前で
売り出したことが起源とされ、文化年間には現在の形の「長命寺」が売
られていたようです。

こちらの分布エリアは比較的狭く、関東、山陰、東北の一部となるようです。

東京で働き始めて間もないころ、事務所に差し入れられた「桜餅」が
「長命寺」と知り、その違いにひどく驚いた記憶があります。

------------------------------------
【3】 「身体が覚える」という感覚
------------------------------------

先日、ラジオを聞くともなく聞いていると、昭和41年に録音された山本夏彦氏の
インタビューが放送されていました。
(山本夏彦 1915―2002 工作社社主 コラムニスト)

それは「分別」というタイトルがつけられたインタビューだったように思います。

その中で明治以前の教育について語った部分が耳に残りました。

それは、おおよそ以下のようなことでした。

「昔は体で学んだものだ。かつて大工の棟梁は小僧に三年仕事をさせず、掃除、
お茶くみをさせた。そして三年たった頃に突然鉋を使ってみろという。
三年目にやっと仕事を与えられた時の様子から、どれほど本当のやる気があるか、
それまでにどれほど兄弟子たちの仕事を見ていたかを推し量った。
そのようにして教えるべき弟子を選び、「身体で覚える」、「身体で教える」という
ことへの素地を作り教育した。子供のころに覚えた自転車の乗り方は一生ものだ。
身体とはそれほどまでに覚えているのだ。」

この話の前後は聞き逃してしまったのですが、文字偏重、頭脳偏重となった
近代以降の教育に対して身体感覚を取り戻すことを訴えているように感じられました。

少し趣を異にしますが、かつて私自身もそんな「身体感覚」を実感することがありました。

私くらいの年齢の者は、手描きでトレーシングぺーパーに図面を描いていたことを知っている
或いは実際描いていた最後の世代にあたります。

つまり手描きの図面がCADで描かれた図面置き換わるドラスティックな過程を
現場で経験したわけです。

初めのうちは慣れることに一生懸命なのであまり気にしませんでしたが、
やがて作業後の身体の状態がそれまでと違うように気付きました。

使う道具が異なるからには使われる筋肉も異なります。またモニターを見て
作業することの影響もありますから疲労の感覚が異なるのも当然です。

鉛筆を持って行う作業はかなりの重労働で、いわばアクティブな疲労感を
伴いましたが、マウスの作業は平板な疲労感とでも表現できるようなものでした。

この「感じ」は、手描きとCADの間では脳の活動の領域や活動の程度に
大きな隔たりがあるということを示しているような気がします。

手描き世代の私が感じたその感覚的な差異は、恐らく、ある種の「身体感覚」が
失われていく瞬間を捉えたのだろうと思います。

------------------------------------
【4】 編集後記 
------------------------------------

 今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
 今後ともよろしくお願いいたします。

« March 2015 | Main | May 2015 »

August 2019
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ

読んでみる

カウンター