Recent Trackbacks

« December 2014 | Main | February 2015 »

January 2015

January 19, 2015

CAVOK通信 第12号

「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「

CAVOK通信 【第12号】

「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「

----------------------------------------

■ I N D E X ■
----------------------------------------

【1】ご挨拶
  ---------------------------------------------------------

【2】明けましておめでとうございます

  ---------------------------------------------------------

【3】1月1日各社コラム読み比べ

  ---------------------------------------------------------
【4】今年への思い

  ---------------------------------------------------------

【5】編集後記 
  ---------------------------------------------------------

---------------------------------

【1】ご挨拶
---------------------------------

あけましておめでとうございます。

皆様よいお正月をお過ごしのことと思います。。

今回もこのような形で話題を発信いたします。

少しでもお役に立てれば幸いです。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

                            平成27年1月1日
               一級建築士事務所 CAVOK Architects

                                  土居 良助

                      e-mail QWH02474@nifty.com
             URL http://homepage2.nifty.com/CAVOK/

------------------------------------

【2】 明けましておめでとうございます

------------------------------------

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
さて、みなさんはどのようなお正月をお過ごしでしょうか。
まだまだ伝統的な松飾りや鏡餅を飾り付ける方もまだまだ多いのでしょうが、
最近では簡略化されたもので済ますケースも増えてきたようです。
今回はこれらの「いわれ」を振り返ってみたいと思います。

門松・松飾り 

古代の日本では、木のこずえに神が宿ると考えられていました。
また、古代中国では松の木が不老長寿、繁栄の象徴とされてきたこと
などもあり、日本でも松をおめでたい樹種として重用されるように
なります。つまり、門松には年神様を家に迎え入れるための「依り代」
の役割があるわけです。
やがて平安時代には新年に松を家に持ち帰る習慣が始まり、室町時代に
なると現在のように玄関の飾りとする様式が決まったと言われています。
現在では飾りの中心にある竹が目立ちますが、本来は上記のように「松」
が主体です。また、竹の先端を斜めに切ったものと真横に切り落とした
ものがありますが、斜めに切り落としたものは徳川家康が初めてという
俗説があるそうです。

鏡餅     

端的に言ってしまうと、穀物神である年神様へのお供え物です。
その形が鏡に似ていることから「鏡餅」といわれます。
古代の鏡(歴史の時間に習った丸い青銅鏡です。神社の御神体だったり、
古墳などから出土したりしますね)は神事に用いられ神聖なものでした。
一説によると三種の神器である八咫鏡をかたどったといわれます。
(さらに八尺瓊勾玉に見立てたものが橙、天叢雲剣に見立てたものが
串柿だそうです)平安時代にはすでに存在していたようで、源氏物語にも
記述があるそうです。とはいえ、現在のような飾り方となったのは、
床の間が出現する室町時代以降のようです。


しめ飾り   

そもそもしめ縄は神事の道具であり、神の領域と俗世を隔てる結界を
あらわすものです。天照大神が天岩戸から出た際、二度と天岩戸に
入れないよう太玉命がしめ縄(古事記では「尻久米縄」と表記され
ているそうです)で戸を塞いだのが起源とされています。
お正月のしめ飾りも、厄や禍を祓う結界の意味を持ちますが、
さらに門松と同様に年神さまを祀るための依り代としての
役割もします。

こうしてみると、語呂合わせや縁起物といった趣の強い
おせち料理に比べると、神事にまつわる内容だということがわかります。
古代から連綿と続く文化の厚みを感じます。

------------------------------------

【3】 1月1日各社コラム読み比べ

------------------------------------

都会であれば新聞は駅スタンドでどの新聞社の新聞でも
買うことができます。ですが、地方ではまだまだ宅配が
一般的で、それ以外を読むことは稀なのではないかと
思います。


しかし、最近では地方であってもコンビニの浸透によってそ
のような状況も変わりつつあるようです。

そこで今回はためしに、1月1日のコンビニで新聞を購入し、
各社の一面コラムの読み比べをしてみました。

朝日新聞 天声人語

冒頭で正岡子規と斎藤緑雨の句を引用し、力を込めずとも時は流れて
暮れること、その一方で大晦日のざわつきが数時の後の夜明けとともに
静かな新年の朝を迎えることの妙を語ります。
そして後段ではそれを踏まえて、改まった気持ちで迎えた新年を一年後に
どんな気持ちで振り返るのだろうかと問いかけます。
最後には「できるならそれぞれ、眉間のしわより目尻のしわが
刻まれんことを」と締めくくっていますが、読み手の気持ちに
グッと訴えてくるような思いがします。

 

毎日新聞 余禄

「余禄」は、昭和のコメディアン・古川ロッパの1938年元旦の日記の
引用から始まります。さらに永井荷風も引用して当時の盛り場の繁盛
を紹介します。

ですが、「余禄」は明治維新から70年目この年が破局の迷路に陥った
年だったと位置づけます。そして、戦後70年を迎える私たちが直面する
様々な問題に対して、「未来を見通す構想力」が試されると説きます。
ここまでならば良く分かるのですが、最後の部分ではさらに
「戦前も植民地無き日本の経済成長という構想を抱いた人々はいた」と
書き進め、「未来への構想力を励まし、逆戻りを繰り返す迷路は封じなければ
ならない」とまとめています。「逆戻り」の先が良く分かりません。
まさか「植民地」のことではないし。
どうもピンとこないのは僕だけでしょうか。

日経新聞 春秋

「春秋」も冒頭は山田風太郎の日記の引用から始まります。
今年は戦後70年であることを意識してか、著名人の引用が目立ちます。
「春秋」は日記の引用から当時の国民の悲壮な決意や厳しい戦局、
そして戦後の安定を紹介し、「過去の栄光も悲惨も、成功も失敗も
素直に認めたい」と説きます。
ですが最後の段落では、「人々は生と死にひたむきに対峙した」が、
「無理無策を重ねてたくさんの過ちを犯し」て「アジアを苛んだ」
と書きます。
そして結びとして「明日をひらくために、記憶をなお胸に刻むのだ」
とまとめています。
ですが、最後の部分は少々強引な気もします。
素直に考えると、アジアを数百年にわたって苛んできたのは「欧米列強」
ではなかったのかとツッコミのひとつも入れたくなります。

産経新聞 産経抄

「産経抄」は平賀源内から書き起こし、そこから干支の羊にちなんで、
前半では羊と日本人、或いは羊とイスラム教徒、ユダヤ教徒との関わり
を語ります。
一転して中盤では中国人は「貝」(=財貨)に象徴される面と
「羊」(=遊牧民のイデオロギー的神)に象徴される面の二面性を持つという
中国文学者の加藤徹さんの説を紹介し、最後に中国の「『貝と羊』に
どう向き合うか、今年も最大の課題である」と警鐘を鳴らします。
読んでいくと、筋立ても素直ですし、わかりやすい「起承転結」で
まとめられていることに気づきます。

四国新聞 一日一言

最後に地元有力紙の四国新聞の「一日一言」です。
定石通りに干支の「羊」の話題から始まります。
文字の意味や日本人との関わり、さらにお定まりの平賀源内ネタも
織り込んで地元読者の心をグッとつかみます。
中盤では一転して羊の従順な性格を語ります。
そして中央政府と地方の関係を羊飼いと羊の関係になぞらえ、
今年から実施される「地方創生」政策について地方が考え、
発信し、行動することの大切さを説きます。
このコラムもきれいに「起承転結」で構成され、論旨も
はっきりしていて好感が持てます。

こうして各社のコラムを見てみると、各社各様で面白いものです。
僕の感想としては、年頭に読んでみて心に響くのは「天声人語」、
ついで「一日一言」と「産経抄」、筆者の結論が先走っていて
どうも読みづらいのは「春秋」と「余禄」といったところですが
如何でしょうか。

 

------------------------------------

【4】 今年への思い

------------------------------------

少々古い話で恐縮ですが、昨年11月26日付のダイヤモンド・オンラインの記事に
松本晋一さん [株式会社O2/株式会社XrossVate/株式会社安田製作所代表取締役]
という方の記事がありました。

内容としては中国の現状を例に近視眼的な経営を戒め、技術の本質に
向き合うことを説いたものでしたが、その中に気になる部分がありました。
少々長くなりますが引用します。


≪ 同一形状であれば、CADのテンプレートを活用して超高速で設計可能だが、
実態は設計をしているのではなく、「作業」をしているに過ぎない。
対象部品の投影面積をCADの測定機能で測り、最適なテンプレートを検索し、
差分を修正する。「なぜ、この寸法になるのかわかってクリックしていますか?」
と尋ねると、「それは必要ない。システムが計算してくれる」と中国人設計者は
答えた。彼は、設計の論拠や中身を知らなくても、CADの操作やテンプレートの
中味を理解していれば、設計できると考えている。
これは設計ではない! だが、彼はこれが設計だと思っている。
彼の評価は、設計の中味を理解して難しい金型の設計ができるようになるかではない。≫ 

このようなことは、建築の世界でもごく普通の風景だと思います。
建築の設計においても部分の納まりの検討がCAD上でカットアンドペーストで
あることは日常のことですし、構造的な検討や温熱環境の検討も専用ソフトで
行われ、ブラックボックス化されているケースは多いでしょう。

確かにそれは仕事を進めるうえで合理的ですし、また時代の要請で
やむを得ないことも承知しています。

ですが、僕としてはもう一歩踏み込んで、その基本的なところを理解して
設計活動を行いたいと年頭に思った次第です。

------------------------------------

【5】編集後記 

------------------------------------

 今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

 今後ともよろしくお願いいたします。

------------------------------------

January 05, 2015

明けましておめでとうございます

2015年もあけました。
気付くと昨年はほとんど何も書いていませんでした。反省してます。
ということで、今年はメルマガとブログを連携させたいと思っています。
さて、どうなることやら。

« December 2014 | Main | February 2015 »

August 2019
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ

読んでみる

カウンター