CAVOK通信 第82号 子供のスポーツから感じたこと
秋も深まってきました。身体を動かすにも気持ちのよい季節です。
剣道・柔道しかしたことがなく、ましてやボールなど触ったことのない私ですが、数年前から子供の通う小学校のサッカー部でお手伝いをさせてもらっています。
サッカーに関わって初めて知ったことは色々ありますが、子供からプロに至るまで一貫して選手を育てていく精緻な仕組みには驚かされます。
子供たちがスポーツを身につけていく場は、もはや私達がよく知っている学校の部活動がメインではありません。
また、難関大学へ進学した中高一貫の私立高校出身の子供達の学校生活に部活動はなく、三年間部活を続けたうえで進学してくる地方の公立高校出身者が体験するような高校生活は想像の範囲外だとも聞きます。
スポーツの世界でも、またの学校生活の面からも現在の部活動を巡る環境の変化は私達には想像もできません。
部活動しか知らない私達「昭和世代」の大人にとって、この様な状況の変化には一抹の寂しさも感じます。
ですが、考えてみると部活本来の目的は生徒の教育活動の一部です。「健全な精神は健康な身体に宿る」という考え方の下で行われていたのではなかったのでしょうか。なにか割り切れないものを感じるのは私だけではないと思います。
このモヤモヤした感覚は久しく心の隅にあったのですが、先日、九州大学の施光恒先生が書かれた論説を目にしてハッとしました。
先生は「身体を鍛え、ワザを磨くことは精神修養つながる」という考え方が日本文化の根底にあり、その「文武両道」の典型的な例が部活動であると述べられています。
また、技術や匠の技を尊び尊重する日本的な感覚も、身体の鍛錬を重んじた武家の理論と関連性が深く、身体の動きの鍛錬や洗練が精神の充実に結びつくという「文武両道」の思想と相通ずると述べています。
この文章を読んで、いまひとつ晴れなかった気持ち明るくなった気がしました。
身体と精神が高いところでバランスする「文武両道」という古来からの理想の姿は、学生時代の部活動を通じて私達の奥底にしまい込まれていたわけです。
学校の部活動は、他の国々の仕組みと比較してもとてもユニークな存在のようです。
働く場所としての環境やその活動の在り方は、時代に合わせて再検討する必要はあると思いますが、学校の部活動とその理念はもっと評価されても良いのではないでしょうか。
「文武両道」の思想が、より良いかたちで学校生活の中に息づいていくことを願わずにはいられません。
参考文献
「現代に抜け落ちる日本的な見方」 令和2年10月16日付 産経新聞




















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