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November 07, 2020

CAVOK通信 第82号 子供のスポーツから感じたこと

秋も深まってきました。身体を動かすにも気持ちのよい季節です。

剣道・柔道しかしたことがなく、ましてやボールなど触ったことのない私ですが、数年前から子供の通う小学校のサッカー部でお手伝いをさせてもらっています。

サッカーに関わって初めて知ったことは色々ありますが、子供からプロに至るまで一貫して選手を育てていく精緻な仕組みには驚かされます。

子供たちがスポーツを身につけていく場は、もはや私達がよく知っている学校の部活動がメインではありません。

また、難関大学へ進学した中高一貫の私立高校出身の子供達の学校生活に部活動はなく、三年間部活を続けたうえで進学してくる地方の公立高校出身者が体験するような高校生活は想像の範囲外だとも聞きます。

スポーツの世界でも、またの学校生活の面からも現在の部活動を巡る環境の変化は私達には想像もできません。

 

部活動しか知らない私達「昭和世代」の大人にとって、この様な状況の変化には一抹の寂しさも感じます。

ですが、考えてみると部活本来の目的は生徒の教育活動の一部です。「健全な精神は健康な身体に宿る」という考え方の下で行われていたのではなかったのでしょうか。なにか割り切れないものを感じるのは私だけではないと思います。

このモヤモヤした感覚は久しく心の隅にあったのですが、先日、九州大学の施光恒先生が書かれた論説を目にしてハッとしました。

先生は「身体を鍛え、ワザを磨くことは精神修養つながる」という考え方が日本文化の根底にあり、その「文武両道」の典型的な例が部活動であると述べられています。

また、技術や匠の技を尊び尊重する日本的な感覚も、身体の鍛錬を重んじた武家の理論と関連性が深く、身体の動きの鍛錬や洗練が精神の充実に結びつくという「文武両道」の思想と相通ずると述べています。

この文章を読んで、いまひとつ晴れなかった気持ち明るくなった気がしました。

身体と精神が高いところでバランスする「文武両道」という古来からの理想の姿は、学生時代の部活動を通じて私達の奥底にしまい込まれていたわけです。

学校の部活動は、他の国々の仕組みと比較してもとてもユニークな存在のようです。

働く場所としての環境やその活動の在り方は、時代に合わせて再検討する必要はあると思いますが、学校の部活動とその理念はもっと評価されても良いのではないでしょうか。

「文武両道」の思想が、より良いかたちで学校生活の中に息づいていくことを願わずにはいられません。

 

参考文献

「現代に抜け落ちる日本的な見方」 令和2年10月16日付 産経新聞

October 04, 2020

CAVOK通信 第81号 新型コロナウイルスを巡って-6 ―コロナと付き合う―

コロナウイルス禍の対応が叫ばれておおよそ半年が過ぎました。

イギリスでは9月29日に一日の新規感染件数が過去最高の7143件を記録し、フランスでも8000人を超えるなどと、感染の拡大は衰えていないようです。

日本でも9月29日の新規感染者は全国で500人を超えています。

このようは報道を日々目にすると、収束はいつのことかと不安になります。

なかなか良い資料がないのですが、「人口あたりの新型コロナウイルス感染者数の推移」というサイトを確認してみると、人口100万人当たりの死者数について各国比較がありました。

これによると、9月29日のデータでは、アメリカが21595人、フランスが8313人、イギリスが6466人などとなっている一方で、アジアは総じて低いのですが、日本は652人、韓国が462人、発生元の中国に至っては62人という数字です。

累積の感染者数は驚くべきものですが、グラフのカーブは多くの国で次第に緩やかになっています。

こうした状況からか、最近では免疫保有者が国民の一定割合に達して収束に向かう「集団免疫」の状態になっているのではないか、という論説が相次いで発表されているようです。

獲得免疫の確認のための抗体検査や、自然免疫の状況などをきちんと調査しなければ確定的なことは言えません。しかもこうした検査を大規模に行うことはすぐには難しい状況であることから、研究者は1日の死者数の推移に注目しているということです。

感染の拡大とともに1日当たりの死者数は急角度で増加していきますが、集団免疫を獲得するとその割合は急速に鈍っていき、そのあとは低いレベルが続くようになります。

すでに日本だけでなく、各国ともにその傾向にあり、 各国が集団免疫を獲得しているのは間違いないだろうということです。

もちろん、手洗いやうがいは一般的な感染症予防として大切ですが、集団免疫の状態であれば、不要不急の外出や県外旅行の自粛などは必要ありません。

そうなれば、私たちが毎年のインフルエンザの流行をやり過ごしてきたように、新型コロナもただの風邪として生活できるようになるでしょう。

高齢者や基礎疾患のある人が重症化のリスクが高いといわれていますが、それに当てはまらないケースもあり、なぜ、どのような人が重症化するのかといったことはまだ十分には解明されておらず、今後の研究をまたねばなりませんが、いずれにしても私たちは、この感染症とともに生きていかねばなりません。

世界が集団免疫を獲得しつつあるということが、本当であってくれることを願わずにはいられません。

参考文献

ダイアモンドオンライン 2020年910日 

新型コロナ感染で、日本はすでに「集団免疫状態」にあるという説の根拠

人口あたりの新型コロナウイルス感染者数の推移【国別】

 

コロナ制圧タスクフォース

https://www.covid19-taskforce.jp/

 

September 06, 2020

CAVOK通信 第80号 避難所を知ってますか

しばらくコロナウイルス関連の話題ばかりでしたが、9月1日は防災の日ですので、今回は防災をテーマにしようと思います。

地震や風水害の多い日本では、地域によって濃淡はありますが、案外多くの方が「避難所」を利用したことがあるようです。その一方で比較的災害の少ない瀬戸内沿岸に住む私のように、今まで避難所のお世話になったことはないという人達も大勢います。

では、避難所とはどういった施設でしょうか。

2013年6月に改正された災害対策基本法では、それまで明確でなかった避難施設を再定義し、切迫した災害の危険から逃れるための緊急避難場所(指定緊急避難場所)と、一定期間滞在し、避難者の生活環境を確保するための避難所(指定避難所)が明確に区別されました。

指定緊急避難場所は、災害が発生したり、発生するおそれがある場合にひとまず危険を回避するための場所です。災害に対して一定程度の安全な建物や、危険が及ばないと考えられるグランドや駐車場といった開けた場所が指定されます。 学校の防災訓練で、運動場に避難したことをイメージすると分りやすいと思います。

指定避難所は、災害の危険性のため避難した人たちを災害の危険性がなくなるまで一定の期間滞在させるための場所です。そのため、ある程度の人数を屋内に収容できる学校や公民館などが指定されています。被災地の様子として体育館などで寝泊まりしている被災者の方々の状況がよく報道されますが、そうしたシーンはこの指定避難所での様子だと思います。

では、避難所の運営はだれが担っているのでしょうか。

被災した人達は、自治体の職員が運営していると思いがちです。しかし実際に避難所を運営するのは被災当事者を含めた地域の住民、施設管の理者、自治体の職員、さらには外部から駆けつけたボランティアなどです。こうした様々な人たちが連携して運営するわけですから、立ち上げ当初はなかなか上手くいかないことも色々あるだろうと容易に想像がつきます。

円滑な運営には、地域の自主防災組織が中心となって、地元の人達とともに普段から運営計画を作成し訓練を行っておくことが理想と言われますが、地域によってその取り組みに濃淡があることが指摘されています。

振り返ってみると私の地元にも自治会もあり、いくらかお手伝いはしていますが、こと防災については、どのような活動が行われているのか全く分らないというのが正直なところです。

これではいざという時の「自助」や、お隣同士の「共助」もままなりません。

近いうちに改めて地域の防災活動について調べてみようと思っています。

 

高松市公式ホームページ 避難所運営マニュアル作成の手引について

August 04, 2020

CAVOK通信 第79号 新型コロナウイルスを巡って-5 ―コロナ禍の熱中症対策―

思いのほか長かった梅雨もやっと明け、8月からは短いながらも夏休みとなります。

コロナの収束はまだ見通せず、一部では感染が再び広まっている様ですが、その一方で日常が徐々に戻ってきつつあることも実感します。

普通に運動部の練習などが行われるようになってきている今、コロナ感染も心配ですが、より一層注意しなければならないことは、こうした環境下での熱中症だと私は思います。

熱中症というと、毎年この時期に気になるので昨年は本コラムでも話題にしましたが、今年は特に心配でなりません。

今年は345月は一斉休校となり、それに伴って練習も停止されました。6月頃から徐々に再開されて今ここに至りますが、この三ヵ月の空白は、暑さに慣れる大切な時期を失ってしまいました。体力も例年通り維持できているとは限りません。

このような状態のままで梅雨明け後の猛暑を迎えるということは、例年よりも運動中の熱中症のリスクがより大きくなるということです。

スポーツイベントも徐々に再開され、それに呼応するように子供たちのスポーツの練習やイベントも徐々に本来の姿に戻りつつありますが、果たしてそれぞれの分野での対策は十分なのでしょうか。

競技を管理している上部団体などではいろいろとコロナ下の熱中症対策を講じるよう指針やガイドラインが示されています。

今までは普通に行われていたチーム内のスクイーズボトルの共用は厳に慎まねばなりません。チーム球技に付き物のビブス(ゼッケン)の共用も避けるように言われています。場合によっては身体冷却用の氷水も各自で用意すべきなのかもしれません。

このように、それぞれのチームや部活の現場では試行錯誤を繰り返しながら注意深く対応しています。

しかしその一方で、芝のメンテナンスを優先して、いまだにスポーツ飲料の持ち込みを禁止している競技施設があると聞きます。また、大会のスケジュールが優先され、育成年代にもかかわらず同一チームの試合が炎天下の午前、午後と続いて設定されているケースも散見されます。

こうしたちぐはぐな対応で果たして競技者優先の対策がなされているか疑問を感じます。

それぞれの持ち場でコロナ対策と熱中症対策の双方に目配りのできた意識付けがなされることを願います。

参考文献

NHK特設サイト 新型コロナウイルス 「感染予防と熱中症」

https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/heat-illness/

厚生労働省 「「新しい生活様式」における熱中症予防行動のポイントをまとめました」(リンク切れ)

日本サッカー協会 メディカル 熱暑対策・水分補給

https://www.jfa.jp/medical/heat_measures_hydration.html

 

June 07, 2020

CAVOK通信 第77号 新型コロナウイルスを巡って-4

長かった緊急事態宣言も解除され、朝夕には登下校の学生たちの姿もみられるようになりました。そのせいか、街の雰囲気も幾分明るくなってきたように感じられます。

以前と同じようには行かないかもしれませんが、この数か月で失われてしまった日常を取り戻せるよう、私たちは自分たちの立ち位置で努力するしかないのだと改めて思います。

また、今回のコロナ禍では、人々の健康と日常の経済活動に大きな痛手を受けてしまいした。この手当も大切ですが、それと同時に将来を背負う若い人たちにはそれ以上の十分な配慮が必要だということも痛切に感じます。

それが端的に表れていたのが、一斉休校となってからのネット授業の体制です。

公立学校と私立学校の格差は恐るべきものです。また、その環境を整備することに意欲的な自治体とそうでない自治体と温度差にも考えさせられます。これほどまでに潜在的な格差があることはコロナ以前では気付くことさえもなかったでしょう。

私は、教育の機会や水準について、多少の差はあるにしても概ね公平であると思っていましたが、それは「対面授業を維持する」という、とても脆弱な基盤の上に成り立っていたということを思い知りました。

その意味で、教育の公平性をできるだけ保ち、ある特定の世代に過度な負担をかけないという点から議論が深まることを期待していた、「9月入学」というテーマがそれほど盛り上がらないままに収束したことは残念でなりません。

今年度はリモートの授業や、家庭学習での内容を学校再開後、改めて授業しなくても良いとのことです。とにかく今年度のことは今年度中に収めねばならないという文科省の強い意志を感じます。

果たしてそれでよかったのでしょうか。とにかく、今年の学生、特に受験を控えた中学三年生や高校三年生が不利にならないようにしてもらいたいものです。

例えば、失われた令和2年度を再構築したうえで、入試などに対するハンディキャップを緩和するために、令和2年度の下半期と令和3年度の一年半を『特例の令和2年度』とする(全国一斉に留年するイメージ)ようなことはできないのでしょうか。

子供たちの教育の機会や学校での体験を損なわないために、国は大きな決断と深い議論を進めてもらいたいと思います。

参考文献

『世界裏舞台』 9月入学にかじを切れ 産経新聞 令和2519

『正論』「国民の絆」を壊す9月入学論 産経新聞 令和2519

私立と公立「教育格差」、長期休校が映した現実 東洋経済 2020年5月29日

May 03, 2020

CAVOK通信 第76号 新型コロナウイルスを巡って-3

3月から始まった子供たちの休校も3か月目に入ろうとしています。

当初の予定だった小中学校の4月27日からの登校は5月11日からに延び、さらに1か月伸びそうです。

巷では事業所のリモートワークが推奨され、システムの導入に当たっての悲喜こもごもがTwitterなどのSNS上で話題になることも珍しくありません。

初動が素早かった大学などは4月から、準備に時間を要した大学でも5月からは開始されているようです。日頃からネット環境に慣れ親しんでいる世代とはいえ、そのあたりの対応はさすが大学と思えます。

一方で小中高では、夏休みのように「休校の手引き」といったプリントや課題が配られ、それを日々こなしていますが、リモートワークの波はいずれ小中高校にもやってくることは想像に難くありません。

では、実際のところ、リモートの授業とはどのようなものでしょうか。

そう多くの事例を見たわけではありませんが、例えばフランスやアメリカの西海岸などでは、ともに「課題のプリントアウト」と「自習」にWEB会議アプリを用いたオンライン授業を併用したような体制で子供たちをサポートしています。

ただ、そこはお国柄もあるようで、フランスは保護者の監督のもとのプリントアウトした課題などの自習に重点が置かれていますが、アメリカではインターネットを介した授業の方により力点が置かれているといった印象です。

当初、私はインターネットを用いた授業であるから、youtubeを閲覧するように、あらかじめ録画されたものを視聴するものだろうと勝手に思い込んでいました。確かにそのような授業もありますが、WEB会議アプリを用いて双方向でやり取りできる事例も多いようです。

の双方向のWEB会議システムの利用は面白そうです。ポイントは画面に参加者の顔が表示できるところじゃないかと思います。

先生が授業をするからには「一対多」のやり取りになるのはやむを得ないのですが、それぞれの顔が間近で見られるという仕組みは、離れているけれどお互いの感覚的な距離がかえって近くなるという逆説的な効果があるような気がします。

授業とは異なりますが、リモートワークでWEB会議システムを導入した事業所ではWEB会議を使ってのしばしの雑談タイムが自然に生まれ、参加者の家族の様子が垣間見えたり、新たな一面が垣間見えたりして、お互いのつながりがより深く感じられたそうです。

授業という側面から考えると、先生と児童・生徒の関係性をあまり緩くはできないかもしれませんが、休み時間での関わり方などを柔軟にすれば、授業を対面で行っていた時以上に良い関係性を作ることができるかもしれません。

学校の現場で全面的にWEB授業を展開するには、そのための授業ノウハウの構築をはじめ、各家庭で異なるネット環境をどうするか、機器を全員に行き渡らせるにはどうするか等々の「そもそも」論から始めなければならないので、ハードルは高いと思います。ですが私にはその先に楽しい何かがあるように思えてなりません。

私はまだWEB会議を体験したことはありませんが、早いうちに体験してみたいと思ってます。

 

参考文献

「コロナに負けない、アメリカの「在宅授業」はここまで進化していた...!」

現代ビジネス 2020.年4月25

「フランスのコロナ休校「在宅授業」が「用意周到なのに失敗」したワケ」

FRaU 2020426

「大学のZoom授業に参加→生徒は自分1人だけ「気まずい」と思っていたら、まさかの展開に...」 

jタウンネット 2020430

『「レス」時代の暮らし 在宅で発見 同僚の新たな顔』

 産経新聞 430

April 05, 2020

CAVOK通信 第75号 新型コロナウイルスを巡って-2

新型コロナウイルスの猛威は世界を覆っています。

幸い四国地方は小康状態ですが、首都圏の危機感は尋常ではないようで、国による「緊急事態宣言」発令の可能性も取りざたされています。

また、感染の状況を測るには検査が欠かせませんが、その検査についてもいろいろ議論があるようなのです。そこで自分の理解のために少しまとめてみることにしました。

まず、話題になっているPCR検査ですが、これは検出したい細菌やウイルスが特有に持っている遺伝子を検出して確定する検査方法です。サンプルに含まれるウイルスなどの遺伝子が少なくても検出できるため、一般的に感染症の検査の中では検出の能力が高いものとされています。

しかし検査の仕組みとしては優秀な検査方法ですが、現実にはクリアしなければならない壁が色々あり、簡単に〇か✖かの判定ができるわけではありません。そこで、確率・統計的な考え方を用いて検査の有効性を担保しています。

まず、検査の有効性を評価するために感染者を正しく陽性と判定できる確率を示す「感度」と、非感染者を正しく陰性と判定できる確率を示す「特異度」を考慮しなければなりません。

新型コロナウイルスのPCR検査の感度は高く見積もっても70%程度と言われています。つまり、30%以上の感染者を誤って「陰性」と判定してしうのです。これを「偽陰性」と言います。特異度については明らかになっていないようですが、どんな検査でも100%はあり得ません。極めて精度が高くて特異度99%だったとしても、残念ながら100に1人は感染してい無くても「陽性」と判定されてしまいます。これを「偽陽性」と言います。

これだけではよくわからないので、試しに計算してみます。

では、感度70%、特異度99%として、人口100000人のある街で、そのうち100人(つまり0.1%)が新型コロナウイルスに感染しているという状況を設定して、その全員がPCR検査を受けたとしましょう。結果は以下のようになります。

         感染者   非感染者  合計   的中率

陽性(感度70%)  70人    999人   1069人      6.54%

陰性(特異度99%) 30人     98901人  98931人   99.96%

合計        100人   99900人 100000人

なお、検査対象が感染している確率を、「検査前確率(事前確率)」と言います。

街の全員を検査すると、100人×70%=70人が正しく陽性と判定できるのに対して、非感染者のうち99900人×1%=999人が誤って陽性と判断されてしまいます。また、陽性と判定されても本当に感染している人はそのうちの6.5%程度しかいないという驚きの計算結果です。

陽性の1069人は治療や経過観察の対象ですから、本来必要な量の15倍もの医療リソースが消費されることも問題ですが、治療や経過観察が必要な偽陰性の感染者が30人もいて、他人に移す可能性を秘めながら日常生活を送ることになる危険性はもっと深刻です。感染拡大が収まらずに医療資源を食いつぶしてしまいます。

では逆に、最初からある程度感染が予想されている集団に対してはどうでしょうか。学校での集団感染のように300人のうち5割が感染している集団があったとします。そこでPCR検査を行った場合の計算結果が以下です。 

 

          感染者   非感染者   合計  的中率

陽性(感度70%)  105人     2人   107人   98.13%

陰性(特異度99%)   45人    148人   193人   76.68%

合計         150人    150人   300人

結果を見ると陽性的中率は98%を超え、感染者を捉えるにはかなり信頼できる数字となります。逆に陰性の的中率は77%程度しかありません。これでは陰性でも安心できないため現実的には安全側の対応として、300人全員が感染しているという前提で対処することになるでしょう。

以上のことから、PCR検査は、感染確率の低い大きな集団に実施すればするほど精度が低くなり、検査の意味がなくなってしまうが、感染確率の高い小さな集団に行うと陽性の判定については信頼性がかなり高いことがわかります。その場合、陰性の判定であったとしても決して感染していない証明にはならないということも見逃せない重要なポイントです。

PCR検査を実施するにあたって、発熱の有無や海外からの帰国者かどうか、などと政府が色々と条件を付けていましたが、このように自分で計算してみると、その意図が読み取れ、とても納得できました。

また、ものごとを一歩踏みこんで理解しようとすると、学校で学んだ数学がいかに有用であるかということもよく分かった次第です。

参考文献 

現役医師プロポ先生のYouTubeクリニック 2020年2月27日    

「全員にコロナウイルス検査をしても意味がない理由」   

Yahoo Japanニュース2020年3月6日 

「今日から新型コロナPCR検査が保険適用に PCRの限界を知っておこう」

五本木クリニック院長ブログ2020年2月19日

「新型コロナウイルス感染をPCRで判定しても、様々な問題が発生する可能性があります。」

 

March 08, 2020

CAVOK通信 第74号 新型コロナウイルスを巡って

新型コロナが猛威を振るっています。

WHOも感染のパンデミックではないと言いながらも、危険性評価を「高い」から最高の「非常に高い」に設定しました。

公開されている情報を見る限りでは、多くの人は普通の風邪症状で回復するようですが2割弱が重症化し、WHOの予備調査によると致死率も2~3%程度とされています。そうするとスペイン風邪と同程度(不正確ながら2.5%以上といわれています。ちなみにインフルエンザは0.1%)かそれ以上ということになり、注意を要することは間違いないようです。

とは言いながら、コロナウイルスは日常に潜む普通の風邪のウイルスです。それだけに感染予防といっても手洗い・うがいの励行、不要不急の外出は避ける、人込みには行かないといった、通常のインフルエンザ対策程度しかないのが厄介なところです。

また、子供は感染しても重症化せず、場合によっては症状が出ないのまま感染を広げる可能性もあるようです。感染によって重症化しやすい高齢者と基礎疾患のある人は特に注意が必要です。

感染しても多くは軽症だとは言っても、感染者の絶対数が増えれば、当然重症者も増えてきます。重症者が一定量を超えれば医療リソースが食いつぶされてしまうことは明らかです。家庭が感染クラスターのきっかけになることを防ぎ、基礎疾患のある人や高齢者への感染拡大を防ぎ、ひいては医療インフラを守る意味でも小中高校の一斉休業は大いに意味があると思います。

今回の政府からの要請には、もちろん批判はあろうかと思いますが、見方を変えると、私たちの仕事や働き方がどうあるべきか考えるきっかけになったのではないでしょうか。

昨今「働き方改革」が叫ばれ、働く環境が見直されつつありますが、就労時間が短くなるだけで仕事の内容が変わらなければよりブラックな労働環境になるだけです。重要なことは、小さな子供の具合が悪い時などは、働いている親でも安心して子供の面倒をみられるけれども全体として事業継続がなされているということです。

要は、危機に直面しても対応できる柔軟で強靭な仕事の環境を日常の中に作らねばならないということだと思います。そのためには配置する人員の多重化や業務の合理化のほか、私たちが普通だと思っている仕事の質や提供されるサービスの精度をもう少しラフにすることも必要なのかもしれません。それは皆で考えていかなければならない事です。

各国の社会インフラや、世界の経済に大きなマイナスの影響を与えつつあることを考えると、今回の新型コロナ流行は間違いなく各国の安全保障案件です。単に健康を守るということでなく、社会システムを維持するという観点から少しの間辛抱して、知恵と工夫で危機を乗り越えねばなりません。

今回の流行に対抗する様々なアクションは、後の時代に振り返ってみると、私たちの働き方や仕事の環境、仕事に対する根本的な考え方のターニングポイントになっているのではないかと思います。

参考文献 

ウィキペディア:2019新型コロナウイルスによる急性呼吸器疾患

日本感染症学会:新型コロナウイルス感染症

国立感染症研究所:新型コロナウイルス(COVID-19) 関連情報ページ

厚生労働省:新型コロナウイルス感染症について

新型コロナウイルスを巡って

February 02, 2020

CAVOK通信 第73号 入試シーズン到来に当たって

今年度で実施が最後となるセンター試験も終わり、いよいよ本格的な大学入試のシーズンが到来しました。昨年末に起こった「大学入試共通テスト」を巡るゴタゴタもすでに話題とならなくなったので、自分なりにその論点を整理してみようと思います。

では、センター試験から変更された内容はどのようなものでしょう。

新たに実施される共通テストでは国語、数学で思考力を測るために記述式の問題が一部に設定されること、英語では「読む」「書く」「話す」「聞く」の4技能を測るということが大きな変更点のようです。

そしてそれらの実現のために国語、数学は採点を民間業者に委託すること、英語では民間検定試験を複数回受験し、最もよい点数を入試の際に用いるという仕組みが想定されていたようです。

まず、記述問題ですが、国会では公平な採点がなされるかどうかが問題となりました。

確かに公平性を担保するためには採点者の質の高さも人数も必要であることは間違なく、十分な採点システム構築はすぐにはできないかもしれません。

しかし、目を転じてみると、すでに大手予備校は10万人単位の模擬試験を実施しており、その結果は受験生からおおむね信頼され大いに活用されています。そのような現状を鑑みると、今後進歩するであろうAIを活用するなどして、十分な準備の体制を作れば公平で正確な採点の仕組みは可能ではなかろうかと思います。

やはり曲者は英語の試験改革だと思います。

インターネットの共通言語が英語となった現在では、国際共通言語としての英語の地位は、際立っており、かつて国際言語として並び立っていたドイツ語やフランス語を凌駕しています。英語の能力を伸ばさねばならないことは言うまでもありません。

記述問題の採点同様、十分な予算を配分してしっかりと準備すれば、今までのセンター試験のようにそれなりに良質な問題を公的機関(大学入試センターのような機関が存続するかどうか知りませんが)で作成することが可能ではないかと思います。なぜ民間検定の導入ありきだったのでしょうか。

民間の検定を利用することによる「経済格差」・「地域格差」の問題や、検定試験のあいだで起こるであろう受験生獲得競争の激化(50万人の受験生はそれだけで大きなマーケットです)、さらには検定対策重視・授業英語軽視の傾向が助長されるのではないか、という懸念を九州大学の施光恒教授は述べていました。どれもうなずける内容です。

そのような弊害が予想されるにもかかわらず導入しようとした背景は何だったのでしょう。経済界からの強い要請があったのだとすれば、今回実施が見送られたことは幸運だったかもしれません。

個人的には英語を「聞く」、「読む」という能力と「話す」、「書く」という技能を同列に扱うのは難しいのではないかと思っています。

考えてもみてください、自分がそれなりの語彙をもって、正確な発音で日本語を話せるのも生まれてからある程度の年齢になるまで24時間365日、日本語の中に身を置いているからです。英語でこのような環境で生活したことがあるのは一部の帰国子女だけであり、一般の高校生ではとうてい無理な話です。

また、書くということもそれとほぼ同様です。

私たちが微妙なニュアンスの文章を書き分けられるのも日本語で書かれた文章に囲まれて生活しているからです。

中高生が日常生活で接する典型的な文を日本語から英語に訳することは出来ても、微妙な助詞の使い方や独特なニュアンスの表現を書くためには、英語を母語とするの先生のチェックを受けなければどうしようもないだろうということは容易に想像できます。

そのような背景を踏まえたうえで英語の4技能を身に着けるとするならば、まずは高校の授業すべてを英語で行うというようなかなり大胆な改革が必要になるかもしれません。

世界とのコミュニケーションを考えればそうすべきだという議論もあろうかと思いますが、一方で思想家の内田樹氏は英語や英語のオーラルコミュニケーションに偏重した教育による弊害は、今を生きる自分達と過去から連綿と続いてきた自国文化との紐帯が断ち切られることだと警鐘を鳴らしています。そして、私達のように世界的にはマイナーな言語を用いる者に必要なのは英語よりも母語=日本語の学習だと言っています。

その指摘を踏まえ、過去からの蓄積(要は古典ですね)にアクセスできる技能という点から考えると、私達に必要な英語の能力は、もしかすると「読む」ことだけなのかもしれません。

教育は国の根幹です。今回の大学入試制度改革延期を奇貨として政府をはじめ、関係する要路の方々には「国家百年の計」といった観点から日本の教育の仕組みを考えてもらいたいと思います。

January 05, 2020

CAVOK通信 第72号 1月1日各社コラム読み比べ

今年も、1月1日の恒例の各新聞社一面コラムの読み比べです。

各社の傾向を読み解いてみましょう。

 

朝日新聞 天声人語

まずは昔からよく入試に出題されたと話題になる有名コラム、天声人語です。

導入として映画「ブレードランナー」のシーンを挙げ、「空飛ぶクルマ」の開発に携わる人々のコメントを繋いでいきます。

コラム中に登場するいずれの方の発言も、近い将来の実現可能性について言及しており、コラム筆者も「快適な空中の移動、休暇の遠出も渋滞知らず」と明るい未来を描き、「空を自在に舞うような見晴らしのよい年」となるよう願う言葉で結んでいます。

興味深い素材なので、コラムにとどまらず、特集記事でも取り上げてもらいたいような内容です。とはいえ、新しい技術がもたらす社会の変化は大きな恩恵をもたらすことも確かですが、マイナスの側面を持つことも歴史が証明しています。明るい面ばかり強調するのはどうかと思いますが、新年早々なので野暮なことは言わないでおきましょう。

 

毎日新聞 余禄

今年の余禄は杉本苑子の文から始まります。昨年は吉屋信子、一昨年は子規、その前は金子みすずでしたから、毎日新聞のコラム筆者は相当の文学好きと思われます。

今年はオリンピックイヤーであることからの着想でしょうが、五輪をきっかけにした警句のようです。

筆者は杉本苑子の「あすへの祈念」からの文章を引用し、同じ場所で行われた前回の東京五輪開会式と学徒出陣壮行会の時間の隔たりがわずか20年であることを強調します。そのうえで「あの日がきょうになるなら、輝くきょうも明日はどうなるかわからない」という杉本さんの感じた「恐ろしさ」に共感しつつ、「未来は私たちの手の中にある」と結び、今を生きる私たちに覚悟を問うています。

年頭に当たって少々背筋を伸ばさねばならないような緊張感のあるコラムですが、好感が持てます。

 

日経新聞 春秋

日経のコラム筆者はちょっと腹に据えかねたのでしょう。コラムの話題を急遽変更して国外逃亡した日産元会長のカルロス・ゴーン被告について述べています。

もちろん日本の司法制度の問題点にも言及していますが、隙をついての海外逃亡を非難する論調にはなかなか厳しいものがあります。裁判が開かれないであろうことと晴れやかな64年前の日産の全面広告を対比し、嘆息してコラムを結んでいますが、その気持ちは読者にも十分伝わってきます。

 

産経新聞 産経抄

産経妙は今年の干支である「ネズミ」がテーマです。まず大国主命を救ったネズミのはなしから書き起こし、ネズミにまつわる新年の季語「嫁が君」のはなしや、さらには実験動物として多用される白いネズミに話題を転じ、白いネズミつながりから城山三郎さんの代表作『鼠』の中で描かれる鈴木商店焼き討ち事件のエピソードへと話を進め、それを現代の世相と絡めて「ネズミに学ぶことが多い一年となりそうだ」とまとめています。

ネズミを中心にして起承転結をまとめる筆者の技が冴えるコラムではないかと思います。

 

読売新聞 編集手帳

今年の編集手帳は「令和」にちなんだ話題です。万葉集の解説本を引用し、冒頭では人事の不満から酒に酔ってくだをまく大伴旅人の歌を紹介し、中盤では家族を想い酒宴を退席する山上憶良の様子を紹介します。

コラムの筆者は現代人の日常と相通ずる万葉人の人間模様を「令和」という元号に感じているようです。

互いに良き友人であったという大伴旅人と山上憶良の対比の趣もさることながら、それと同時に千年たっても変わらない人々の日常を感じさせる面白いコラムではないかと思います。

 

四国新聞 一日一言

今年の一日一言のテーマは箱根駅伝です。本県出身の大浦留市さんが関わった1920年大会の東京高等師範学校優勝のエピソードから書き起こし、香川県が「マラソン王国」と言われた時代の香川の著名人を紹介し、26年ぶりに箱根駅伝に出場する筑波大へのエールで締めくくっています。

もしかすると筆者は筑波大のOBなのかもしれません。

 

 

こうして各社のコラムを見てみると、改元を意識した話題が多かった昨年に比べ、各コラムの筆者が取り上げたテーマは様々です。しかし、新春ならではの話題という訳でもないというのが今年の特徴かもしれません。

「余禄」は新年早々ちょっと考えさせられる内容でしたし、「産経妙」は新春らしい話題でした。ですが、個人的には新年にもかかわらず、あえてタイムリーな時事ネタで攻めた日経の「春秋」を褒めたいと思います。

皆さんはいかがでしょうか。

December 08, 2019

CAVOK通信 第71号 昨今の大学入試について

2020年から開始されるはずであった大学入試センター試験の制度変更、英語の民間試験導入が延期されました。

高校1年生がいる我が家もこの騒動は他人ごとではありません。とはいえ、我が家の高1は現行のセンター試験を受験するという事がはっきりしただけでも親としては少なからずホッとしています。

子供達が高校に入って分かったことは、最近の入試時事情が我々の頃と大きく様変わりしていることでした。

我々の時代の共通一次試験はセンター試験と名前を変え、国公立大学だけでなく多くの私立大学も利用するようになりました。また、各大学が課す二次試験では、各科目を受験する一般入試ではなく、自己推薦やAO入試などを受験する学生の割合も年々増えつつあり、合格者の半数以上が自己推薦やAO入試である例も珍しくないと言います。

個々の大学の難易度や教育内容などは脇に置いておいて、この状況の変化を第三者的にみると、現在の受験制度は一次試験では受験生の学力の度合いを計り、二次試験では単に学力だけではなくそれ以外の視点から受験生を評価するという仕組みになりつつあると言えるように思えます。大学側は、学力以外の能力(最近では非認知的能力というようです)をより積極的に評価しようとしているのでしょう。

これに照応するような変化は初等教育ではすでに行われています。

小中学校では総合学習が軌道に乗り、異学年の交流や自ら設定した課題にグループ取り組むような試みがなされおり、能動的で本質的な「学び」に一定の成果を上げている事例も見聞きします。

こうした変化に対して、高校は十分対応できているのでしょうか。

高校では、今でも我々の高校時代と同じように伝統的な文系・理系のコース分けがなされています。受験支援は多様化しているとは言いながらもそのエネルギーの大半は学力試験と偏差値による評価(認知的能力の評価)をベースに行われています。

小中学校で積み重ねられてきたことが高校では必ずしも生かされていないように感じられます。

「偏差値には過熱と冷却の機能があり」、普段は勉強熱を煽り、入試前には現実のレベルを受験生に突きつけるという事を入試の度に繰り返すと「ほとんどの生徒と学生が勉強嫌いになってしまう」という感想は作家の佐藤優氏の弁ですが、(世界裏舞台 産経新聞 令和元年1020日付)なるほどその通りだと思います。

先進的な私立高校はすでに行われているのかもしれませんが、社会の変化が激しい今だからこそ、高校、特に地方の公立高校は、いわゆる学力だけではなく、本来の勉強の入口になる「学び」に対してもっと積極的に取り組んでもらいたいと思います。

小中学校の先生方が実施されていることですから、少しの熱量と工夫を加えれば高校の先生方も同様な取り組みが出来るのではなかと思っています。

November 04, 2019

CAVOK通信 第70号 ラグビーワールドカップに思う

約一か月半にわたって世間を興奮の感動の渦に巻き込んできたラグビーワールドカップ日本大会も残すところ、決勝戦のみとなりました。世界レベルのプレーを目の当たりにして、改めてラグビーの面白さに感じっている今日この頃です。

また、ベストエイトで敗れはしましたが、予選プールを全勝で終えた日本代表のひたむきな姿を思い出すたびに、ついつい涙腺が緩んでしまいます。

私たちに感動を与えてくれた日本代表ですが、31人メンバーのうち、日本以外にルーツを持つ選手はキャプテンのリーチ・マイケル選手を含め15人います。

これは 、代表選手となる資格が、その国に3年居住しているか、その国で生まれるか、または祖父母または両親のいずれかがその国出身者であるという規定によるもので、本人の国籍よりも所属する協会を重視しているからです。国籍主義のサッカーとは大きな違いです。

ここ20年ほど、世間では「グローバル化」という言葉を見聞きします。グローバル化をひとことで言うと各国の文化や社会の仕組みを平準化し、ヒトやモノの行き来を自由にして行こうというものです。社会の流れはその方向に進んできたことは間違いありませんし、そこでは、ローカルなものは否定的に捉えられていました。また、私たちもそのように思い込んでいました。

今回の日本代表の構成は一見すると、このグローバル化を象徴するもののように見えるかもしれません。ですが、その本質は全く正反対のことではないかと思います。

今大会で、私たちは日本代表の姿に強く心を打たれましたが、それは彼らのプレースタイルが素晴らしかっただけではありません。外国をルーツに持つ選手達が、日本出身の選手とともにとして戦っているという姿に感動したのです。

いちどその国で代表選手となれば、他国の代表選手にはなれません。自分の意志で日本代表選手となるという事はそれ相応の覚悟が必要です。にもかかわらず、様々な文化的背景をもつ選手が、日本代表となることを選び、「日の丸」のもと「君が代」歌い、戦っていたのです。

この姿は、外国人選手としてラグビーに人材として単にスキルを提供しているというのではなく、ラグビーを通じて「同胞」として日本の運命を共に引き受けている姿を私たちに示してくれました。

「日本」を意識させ、改めて自分たちは何者なのか、という事を私たち問いかけたのが海外から来た「桜のジャージのサムライ」たちだったのではないでしょうか。

ここ数年、グローバリズムの機能不全が語られていますが、上で述べたことを踏まえると、その解決策の一つは「個々人を尊重するローカリズム」にあるような気がします。

October 06, 2019

CAVOK通信 第69号 常識を疑おう

常識を疑おう

今年の夏も暑い夏でした。また、先日、千葉に深刻な停電をもたらした台風も稀に見る強い台風でした。

こうした体験したことのない気候の変動は「地球の温暖化」のためであり、その原因は人類の生産活動が排出する二酸化炭素の増加が根本的な原因だと言われています。

先日の「国連気候行動サミット2019」で注目されたスウェーデン人少女グレタさんのスピーチも記憶に新しいところです。

二酸化炭素の急激な増加が地球温暖化の原因であるという考え方は「天動説」のように自明のことであるように世間では理解されていますし、僕もまあ、そういう事なのだろうなあと思っていましたが、実際はそう簡単ではないようです。

地球温暖化が二酸化炭素の増加よるという考え方に懐疑的な科学者はそれなりにいるのですが、メディアはあまり取り上げません。それだけでなく、データに基づいて論争されるべき内容が裁判に持ち込まれることにより、疑問を呈する懐疑派の科学者が口をつぐむという実態があると言います。

カナダではこのようなことがありました。

化石燃料を使うことにより地球が温暖化したことを発表し一躍有名になったペンシルベニア大のマイケル・マン教授に対し、カナダ・ウィニペグ大の元教授ティム・ボール氏がその内容を大いに批判しました。

それに対し、マン教授は科学的論争でなく名誉棄損の裁判をカナダのブリテッシュコロンビア州で起こしたのです。2011年3月のことでした。

裁判でボール元教授は自身の主張をもとに反論し、検証のためマン教授に対し計算の根拠となる生データの開示を求めました。

本来であれば、ここで再検証がなされさらに科学的な真実へと迫ることができるはずです。ですが、以外にもマン教授は知的財産保護を理由に開示を拒み、自ら訴えた裁判に完敗する事になりました。2011823日、ブリティッシュコロンビア州最高裁での判決でした。

自分の研究結果が批判されたことに対し、科学的な内容をデータに基づく論争でなく、名誉棄損裁判で争うというのも意外ですが、自身の敗訴が明らかとなっても生データを開示しなかったマン教授の科学者としての姿勢も僕は納得できません。

昨今の異常気象の真の背景を探るためにも、懐疑派の科学者が行っている研究成果はもっと世間に知られてよいと思います。

参考文献:『「地球温暖化」に再考を促す』産経新聞 令和元年917日付

September 03, 2019

CAVOK通信 第68号

防災用品、準備できてますか?

9月1日は、防災の日です。

これは1923年(大正13年)に発生した関東大震災にちなんで設定されたのは皆さんご承知だと思います。そこで今年も防災関連の話題です。
防災グッズの準備はいかがでしょうか?

最近では防災意識も高まってきたため、自宅に防災用品を準備している方も増えてきているようです。また、防災のために特別なものを準備するよりも日ごろよく利用する食料品や生活必需品を大目に購入してストックしておいて、普段の生活で消費しながら更新していく「日常備蓄」という考え方も浸透してきているようです。

そこで、最低限必要なものをリストアップしてみました。

〇食品

水(飲用・調理用)、主食(レトルトご飯など)、主菜(缶詰、冷食など)、 缶詰(果物など)野菜ジュース、非加熱で食べられるもの(かまぼこ、チーズなど)、菓子(チョコなど)栄養補助食品、調味料 被災しても、冷蔵庫は重要な備蓄庫になります。普段から氷なども常備しておいた方が良いですね。

〇生活用品

生活用水、常備薬・救急箱、ティッシュペーパー、ウェットティッシュ、生理用  品、使い捨てカイロ、ライター・マッチ、ポリ袋、簡易トイレ、充電式ラジオ、ス マホ用予備バッテリー、ラテックス手袋、軍手、ライト、電池、カセットコンロ・ ボンベ

家族構成や持病によっても準備する物は変わってきます。上記を参考にカスタマイズしてください。

備える物の目途がつけば、次に保存する量が問題になります。以前は水や主食の備蓄量は3日分と言われていましたが、最近では支援が届くまでの1週間程度は自活できるよう備蓄すべきとアナウンスされているようです。

ただ、一般家庭の冷蔵庫には買い置きの食品が1~2週間分あると言われていますから、それほど深刻にならなくても良いかもしれません。

被災後も自宅で生活ができる場合は、上記のような備蓄によってかなり気持ちの余裕をもって実態に対処できますが、避難所に行かねばならないとなると持ち物を厳選しなければなりません。

ざっとあげてみると、ライト・電池、ラジオ、ヘルメット、軍手、ライター、水、非常食、缶切り、着替え、現金・通帳、常備薬、印鑑といったものは最低限必要でしょう。

通帳や印鑑、現金は普段から使いますから、ビニールケースなどに入れて、どこかにひとまとめにしておき、いざという時に持って出るようにしたいものです。

上記の準備物は、地震時の場合を想定していますが、風水害の時も応用できるのではないかと思います。

盲点は、自宅と同じくらいその場にいることが多い仕事場ではないかと思います。東北の震災の際、首都圏の仕事場から郊外の自宅まで帰り着くまで数日を要したという話も聞きます。

オフィスでもヘルメットのほか、エマージェンシーブランケットや歩きやすいスニーカー、ペットボトルの水、栄養補助食品のような非常食などは最低限備えておいた方が良いのではないかと思います。

参考文献:東京防災 編集・発行 東京都総務局総合防災部防災管理課

August 01, 2019

CAVOK通信 第67号

BBQを安全に

 

例年よりも遅れ気味でしたが、梅雨も明け、本格的に夏となりました。

夏休みには海や山でのアウトドア活動を楽しむ機会も多いことでしょう。

アウトドアの定番料理と言えばまず思い浮かぶのはBBQではないでしょうか。

自然のもとで家族や友人とワイワイと行うBBQは楽しいものです。

その一方で、7月から9月にかけての夏休みシーズンは気温や湿度が高く、食中毒の原因となる細菌が増殖しやすい時期でもあります。楽しい思い出のまま夏休みを終えられるよう、食中毒には十分すぎるほどの対処が必要だと思います。

食中毒の主な原因としてはO-157などの腸管出血性大腸菌やカンピロバクターといった名称を聞いたことがあるかもしれません。もしもこのような細菌を体内に入れてしまうと激しい腹痛とともに下痢や嘔吐、発熱などの症状が発現します。

ではどのようなポイントに注意すればよいでしょうか。

食中毒を防ぐには、病原菌を「つけない」・「増やさない」・「やっつける」という予防3原則を徹底することが大切です。具体的には

1.細菌の増殖を防ぐために肉などの食材は調理直前まで、クーラーボックスや保冷剤を使って冷や して保管する。

2. 細菌が出来上がった料理に移ることを防ぐために、生肉を取り扱うときと、焼き上がった肉を取 り分けるとき、さらに食べるときとでは、使用するトングや箸を使い分ける。

3.また、手に傷があるときなど、熱に強い毒素を作る菌が手を経由して食品へと移り増殖すること がある。おにぎりを握るときなどは素手で握らず、清潔なラップやビニール手袋などで行う。

4.手指や食品を介して感染するウィルス性食中毒などは、食品の中心温度が85℃以上の状態で、1 分間以上の加熱を行うと防ぐことができる。特に肉や脂をつなぎ合わせた成型肉や素材が混ぜ合 わされているハンバーグや餃子、タレなどに漬け込んだ肉などは細菌が中心まで入り込んでいる ことが想定されるので、十分に加熱する。

といった点をチェックすべきでしょう。特に、2については疎かになりがちですから十分注意が必要です。前回のペットボトルの話題でもそうですが、食中毒は身近に潜む危険な病気です。ですが注意すれば防げる病気でもあります。細心の注意を払って思い切りアウトドアを楽しみたいものです。

参考文献:内閣府 食品安全委員会 食中毒予防のポイント(BBQなど)

     https://www.fsc.go.jp/sonota/e1_bbq_food_poisoning_e2.html




やる気スイッチの「ON」と「OFF」

 

「やる気」の出ない時があります。

連休明けの月曜日などは、仕事への気持ちの「持って行き方」は芳しいものではありません。

こなさなければならない仕事を目の前にして、憂鬱になるのは月に一度や二度ではありません。

疲労が溜まっていたりすると尚更です。だらだらと時間を過ごして、締め切りに追い立てられて何とか間に合ったという経験もたびたびです。

そんな時に自分でやる気を起せたらいいのにと思ったりしますが、そんなことは可能なのでしょうか。

実はそんなことができるかもしれません。

「やる気」に関して重要な役割を果たしているのが、神経伝達物質である「ドーパミン」です。特定の脳の箇所にドーパミンが作用することで「やる気」が起こることがわかってきました。また、反対に成功体験や、やりがいのある体験を経てドーパミンがもたらされることもわかってきています。

そこで、やりがいを感じられるような環境を自分で作り出し、繰り返し体験することで「やる気」をコントロールすることが可能になるかもしれないというのです。

これは例えば仕事を分解して「to doリスト」を作成し、終わるごとにチェックしていくといった事でしょう。(このようなことは皆さんされているのではないでしょうか)

また、ドーパミンの増減は健康状態にも左右されるので、健康な日常生活を送ることが大前提になるほか、10分程度の昼寝も「やる気」増進に役立つそうです。

決定的な方法ではないかもしれませんが、「やる気」が日頃の習慣と訓練で生み出されるならまずは行動してみようと思います。

参考文献:

ディスカバリーチャンネル 2019年5月7日 

「やる気スイッチ」はどこにある?―脳のメカニズムを理解すればある程度コントロールできるかも―

https://www.discoverychannel.jp/0000093754/

















 







July 01, 2019

CAVOK通信 第66号

建築士の日
手前味噌な話で恐縮ですが、71日は「建築士の日」だそうです。

建築士である僕も最近知りました。

その由来を紐解くと、1950年(昭和25年)71日に建築士の資格の制定と業務の適正化、建築物の質の向上を目的とする「建築士法」が公布されたことを記念して、1987年に日本建築士連合会によって制定されたことによります。

この法律は、政府提案の法律ではなく、議員立法によって成立したものですが、その筆頭提案者はあの田中角栄です。

今となってはちょっと意外かもしれませんが、田中角栄は「一級建築士」の資格を持っていました。これは、法施行時以前から建築士の業務(設計・監理)を行っていたものは、学歴と実務経歴による選考によってその資格が与えられたことによります。

田中が主導して成立させたため、その功績から「一級建築士」第一号は田中に与えられたという話はよく聞きますが、実際の選考手続きは全く事務的に行われたといいます。(選考の過程で1号にする話も出たようです)

ある意味、田中角栄らしいエピソードと言えるかもしれません。

 

参考文献:建築士 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』






マダニに注意

7月になりました。そろそろ海や山でのキャンプの予定を立てようかと考える時期ですね。夏休みが待ち遠しい頃だと思います。

ですが、野外での活動は今まで以上に注意が必要のようです。

ここ数年、マダニが媒介する感染症に注意喚起がなされているのです。

マダニは日本紅斑熱やライム病を媒介しますが、なにより「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」の媒介が深刻です。

SFTSの潜伏期間は6日~2週間程度で、発症した場合、38度以上の発熱、嘔吐、下痢、食欲低下などに見舞われます。現時点では有効な薬剤やワクチンがなく対症療法に頼るしかないという状況もなかなか厳しいのですが、注目すべきはその致死率の高さです。

SFTSによる死亡事例が日本で初めて報告されたのは2013年ですが、その後の研究によるとその致死率25%を超えるのではないかと言われています。現代の医療水準で致死率25%越えは少なからずショックです。

頻繁に刺されるわけではありませんし、刺されたら必ず発症するという訳でもないので、過渡に恐れる必要もありませんが、やはり注意は必要です。そこで1.野外での活動は長袖、長ズボンを着用する2.虫よけ剤を使用する3.活動後は、衣服や同行のペットにマダニがついていないかチェックする5.草の上にはなるべく直に座らない、といった事を心がけるようにしたいものです。

それでも咬まれてしまった場合は無理に取ろうとせず、出来るだけ早く皮膚科を受診しましょう。

咬まれてもいたくないケースもあるので、吸血されてマダニが3~4倍のサイズになってから気付くことも多いようですが、吸血中のマダニを無理に取り除こうとすると、マダニの口器が皮膚の中に残り化膿することがあります。

そのほかにも、上記の感染症に感染するリスクが高まります。必ず受診して口器まですべてを必ず切開除去し、洗浄しなければなりません。

気軽に野外の活動ができないのは気が重いことですが、十分注意してキャンプに出掛けることにしましょう。

参考文献:厚生労働省 重症熱性血小板減少症候群(SFTS)に関するQ&A https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou19/sfts_qa.html









June 06, 2019

CAVOK通信 第65号

〇ペットボトルの盲点

まもなく梅雨の時期です。気温も湿度も高くなっていきます。

本格的な夏も、もうそこまで来ています。

今年も熱中症に用心しなければならないシーズンの到来です。熱中症対策には小まめな水分補給が欠かせませんが、その時に頼りになるのがペットボトル飲料です。

ゴクゴクとラッパ飲みするペットボトル飲料はとてもおいしいのですが、思いのほかペットボトルの直飲みはかなり危険のようです。

いちど口を直づけで飲むと、唾液に含まれる雑菌がボトルに入ってしまい、そのまま放置すると細菌が繁殖してしまうのです。

ある研究機関の実験データでは、2時間が経過した状態では実験スタート時に比べて菌の繁殖にそれほど差はないが、24時間後には細菌数が50倍以上に増加していたそうです。(麦茶の場合)

内閣府・食品安全委員会のメルマガでも、何度かにわけて飲むのであれば、直飲みではなくコップに移して飲むべきで、一度開封した後は、できるだけ一度で飲み切るように進めています。

手軽で便利なペットボトル飲料ですが、もう少し注意深く扱いたいものです。

参考文献:食品安全委員会メールマガジン  平成29年5月26日配信      

http://www.fsc.go.jp/e-mailmagazine/mailmagazine_h2905_r2.html

 



〇登戸の事件について

去る528日、川崎市の登戸で痛ましい事件が起きました。

被害に会われた方々にはお見舞いを申し上げるとともに、お亡くなりになった方々には心からお悔やみ申し上げます。

小学生の子供を持つ親として考えさせられることも多かったため、自分が感じた点を書き留めておこうと思います。

小学生の登下校時の安全対策として主なものは、集団の登下校(下校時は学年ごとに分散するため、地域と学校により差違はありますが)と、ボランティアや保護者による見守り活動やあいさつ運動、さらには安全情報の共有ではないでしょうか。

こうした活動は、登下校時に子供を一人にさせず、さらに子供達の周りには大人の目があるということを周辺に示すことで子供達を守ろうという安全対策です。

この方法は、人通りの少ない場所で一人を狙うような不審者対策としては標準的で、効果的な方法だろうと思います。なぜなら、小学生をねらう不審者は、周囲の目をとても嫌うからです。

ですが、今回の事件は上記のような対策がすべて無効だということを示唆しています。

今回のように、ある種の覚悟をもって小学生を狙う通り魔的な犯行に対して、集団でいることはむしろ逆に被害者を増すことになってしまいました。

また、凶器などの周到な準備(今回は、スペアを含め4本の柳葉包丁)をしてことに臨もうとする者に対して、何も持たないボランティアの保護者はあまりに無力です。

さらに、日ごろ挨拶を交わしていたとしても、そのうちの誰が今回のような凶行に及ぶかどうなど、外部からはうかがい知れません。そういう意味では共有すべき情報などもありません。

表面の状況だけを読み解けば、今回の事件はほぼテロと言っても差支えないと思います。だとすればその対策は、分散した登下校、ドアツードアの送迎、屈強な警備員の配置といったものに変化していかざるを得ないのではないでしょうか。

容疑者が死亡したため事件の全容ははっきりしませんし、動機を含めた容疑者の背景についても議論がなされている状況ですので、そこにはあまり触れませんが、気になるのは、私立の小学生という属性が襲撃の対象となる要素であったという報道もなされていることです。

集団の属性に対する妬みなどが動機になるとすれば、その対象はいくらでも拡大します。すでに子を持つ親の問題にとどまらないのかもしれません。

いずれにしても、登下校時や学校の安全対策は練り直さねばなりません。









April 30, 2019

CAVOK通信 第64号

〇令和の御代

5月1日は皇太子殿下がいよいよ新たな天皇陛下にご即位される日です。

即位に当たっては、一連の儀式が行われますが、政府は「剣璽等承継の儀」「即位後朝見の儀」「即位礼正殿の儀」「祝賀御列の儀」「饗宴の儀」の五つを国事行為としての「即位の礼」と指定しました。

そのうち、「剣璽等承継の儀」と「即位後朝見の儀」のみが5月1日に行われ、一連の儀式の中心となる「即位礼正殿の儀」や「祝賀御列の儀」「饗宴の儀」10月に行われるとうことです。

平成の改元から即位の礼が行われたとき、僕は大学生でした。そして、社会人になったのは平成3年ですから、僕の社会人としての人生は平成とともにあったと言えます。

その間、転職もしましたし結婚もしました。子供も生まれましたし、母親を見送りもしました。人生の上での大きな出来事は専ら平成の時代に体験したということになりますから、その時代の終わりに接して感慨深いものがあります。

また、僕達の前半生は昭和の時代でした。戦後20年ほどして生まれた訳ですから、幼いころには「激動の昭和」を経験した人たちが身近なところで活躍していました。

そんな「昭和」の風景を知る僕は、「平成」の終わりと「令和」の始まりに直面してなぜか背筋のピンとする思いがします。

それは多分、積み重ねられていく「歴史」を目にする緊張感ではないかと思います。

April 01, 2019

CAVOK通信 第63号

〇元号について

このメルマガが配信される4月1日には、次の御世の元号が発表されていることでしょう。

とうとう「昭和」は先々代になってしまいました。

「昭和」世代の我々が「明治」に対して感じていた感覚を、今の子供たちは「昭和」に対して感じるのですね。一気に歳を取った気がします。

最初の元号は「大化の改新」の「大化」だと言われていますが、実際に使用されたことが確認できるのは「大宝律令」でお馴染みの「大宝」で、それ以降、継続的に現在まで使われています。

現在のような制度として「一世一元」制となったのは明治以降ですが、現在の日本国憲法のもとで法的根拠が与えられたのは意外に新しく、昭和54年に「元号法」が制定されたことによります。

改元に当たっては、コンピュータシステムの変更の手間が大変であるとか、世界で元号を使っている例は他にないとか、或いは西暦への変換が面倒だといった消極的な意見も目立ちます。

ですが、このような文化的な仕組みは、世界でも稀な歴史の連続性の中から生まれてきたもので、経済合理性や利便性といった尺度から計れるものではありません。

そもそも文化は一見すると非合理と思えるところから生まれるものです。

現代の世界で唯一、1300年の長きにわたって途切れることなく使われてきた元号という制度は日本の歴史に根差した誇るべき文化です。

どのような元号になるのか、どんな漢字が使われるのか楽しみです。

追伸:先ほど菅官房長官から新元号が発表されました。

   「令和」だそうです。

   典拠が「万葉集」ということも画期的だと思います。

 

〇自然に囲まれていたいのは当然だった

植物の新芽がそろそろ目立つ季節になりました。花壇のチューリップの花も咲き始めています。桜の開花宣言も発表されています。

植物の変化を身近に感じるにつれて春が近づいていることが実感され、年甲斐もなくワクワクして心持も軽くなるような気がします。

また子供達とキャンプに行った時などは、体力的にはきついですが、心身共にリフレッシュしたような気持ちになります。今さらながら草木をはじめとする自然の力は偉大だと思わずにはいられません。

これらは感覚的なものなので、すべての人が同じように感じるかどうかはわかりません。ですが周囲の緑は人の心に一定の良い影響を与えていることは間違いありません。

デンマークのオーフス大学が行った調査の結果、自然に囲まれて育った子供は知的障害と統合失調症を除くすべての精神疾患に関して発症するリスクが最大55%低いことが明確になったということです。

その結果を受けて、同大学の研究チームは都市計画に公園や緑地といった環境をもっと導入すべきだと提言しています。

自然環境が身体に良い影響を与える理由は、残念ながら未解明ですが直感的に納得する結果です。

家づくりにおいても、植栽の計画は大切だということは十分理解しています。ですが、工事金額を予算内に収めるため、ついつい植栽の部分を削ってしまうことはよくあることです。

やはりいけない事なのだとあらためて感じました。

参考文献 

Newsweek日本語版 2019年3月6日

「自然に囲まれて育った子のほうが精神疾患にかかりにくいこと が明らかに」

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/03/post-11806.php

 

March 01, 2019

CAVOK通信 第62号

〇改めて地震への備え

今年も3.11が近づいてきました。あれからもう8年になります。
昨年夏に被災地を訪ねる機会がありましたが、復興は進んだと言え、
その爪痕はいたるところに残っていました。

また、政府の地震調査委員会が2月26日に発表した日本海溝の
活動予想では、宮城県沖でマグニチュード7クラスの大地震が
起こる可能性は今後30年以内に90%以上の高確率としています。

これだけ言われてもピンときませんが、5年以内で10~20%程度の
確率だそうです。プロ野球の投手の打率が概ね1割程度であることを
考えるとそれなりの確率です。

いわば宮城県沖地震の余震ともいえる地震がこの確率ですから、
私たちの身近で起きると言われる南海・東南海地震はいつ起きても
不思議はないということでしょう。

そう考えると、日頃の備えや心構えがとても大切だということが分かります。

ところで平成の地震被害の体験から、かつて私たちが
地震時の対応として常識としていたことが書き換えられたり、
新たに常識とされたことがあるようです。

例えば地震発生時「まず火を止める」というのもよく聞く話ですが、
地震の際、無理に火を止めようとして火傷を負うケースも考えられます。

地震の揺れは、多くの場合、短時間でおさまりますから、
「まず身の安全を確保する」が、今の常識と言われています。

これまでも地震発生時に身を守る行動について「地震そのとき10の
ポイント」がまとめられていましたが、東北の地震をふまえその内容が
改定されました。

改定された内容は東京都総務局総合防災部防災管理課が
編集・発行した「東京防災」(P78~P79)にも掲載されていますので、
いちど確認されてはいかがでしょうか。

http://www.bousai.metro.tokyo.jp/1002147/

〇子供の身長はどこまで伸びる?

学生時代に「あと少し身長が伸びないかなぁ」と嘆息した方も
多いと思います。実際、毎日牛乳を飲んでいたという話はよく聞きます。

実際そのあたりの事情はどうなっているのでしょう。

巷でよく聞く「牛乳を飲むと背が伸びる」、「寝る子は育つ」、
「背の高さは遺伝による」という三つの項目について
2019年2月20日19:00配信のディスカバリーNEWSが検証しています。

結論から言うと、全てその通りのようです。

まず、骨の成長にはタンパク質が必要であるらしいこと、
睡眠時に分泌される成長ホルモンは骨の成長に大いに
影響するということはお聞き及びの方があるかもしれません。

また、マサチューセッツ工科大とハーバード大の共同研究により
「身長の80%は遺伝で決まる」ということがはっきりしたということです。

両親の身長から子供の最終的な身長を予測する計算式もあります。

男性 :(「両親の身長の合計」+13)÷2+2
女性 :(「両親の身長の合計」-13)÷2+2

あくまでも予測値なので必ずしも計算通りにはならないですが、
興味のある方は是非試算してみてください。

February 01, 2019

CAVOK通信 第61号

〇その豆、どこで手に入れました?

2月3日は節分です。多くの家庭では豆まきが行われると思います。

北海道・東北などではあとの掃除のことなどを考えて合理的に殻つき落花生を用いる地域もあるようですが、広い地域では炒った大豆が用いられています。

豆は「穀物の精霊が宿る」神聖なものと見られていたので、豆まきだけでなく、神事にもよく使われていました。ですが、それだけが節分で豆まきが行われる理由ではありません。

実は、節分の豆は桃の代わりなのです。これだけでは何の事だか訳が分かりませんね。少々説明が必要です。皆さんは、イザナギノミコトとイザナミノミコトの国生み神話のお話はよく御存じだと思いますが、そこにカギがあります。

概略を述べますと、火の神カグツチを産んだ際の火傷がもとでイザナミは亡くなってしまいますが、彼女を追って黄泉の国に赴いたイザナギは約束を破ってイザナミの腐乱した亡骸を見てしまいます。それに怒ったイザナミは恐怖で逃げるイザナギを追いかけますが、黄泉比良坂(よもつひらさか)で、イザナギが大岩で道を塞ぎ会えなくなってしまいます。このくだりは良く知られていますが、記紀ではもっと細かい描写があります。

イザナミは黄泉の国から1500体もの悪霊妖怪を引き連れてイザナギを追いかけました。イザナキは必死に脱出を図り、黄泉の国と現実世界の境界である黄泉比良坂にたどり着きます。偶然そこに生えていた桃の木から、桃の実を3ケ取って悪霊たちへ投げつけると、悪霊たちは雲散霧消してしまいます。こうしてイザナギは現実の世界へ無事生還します。

桃の実には1500体の悪霊もひとたまりもないほどの霊力あるのです。

そうです、大切なのは桃の実なのです。投げつけるのはあくまでも桃の実であるべきなのです。

豆自体がそもそも神聖なものであったことや、季節の問題もあって時代が下るとともに豆となったのでしょうが、その不都合を解消する方法がちゃんとあります。

神社の節分祭で豆まきに用いる豆は、神職が炒った豆をささげて祝詞をあげてから使います。この時の祝詞が「伊耶那岐神(イザナキノカミ)が黄泉の国から逃げ帰るときに桃の実を投げて悪霊たちを退散させた。その桃の実の霊力をこの豆に授けてください。」という内容です。つまり、節分でまく豆は、桃の実の霊力を授けられた特別な豆なのです。

ということでタイトルに戻ります。その豆はどこで手に入れましたか?

ただの炒った豆を買ってきても邪気を払う力はありません。ちゃんと神社で祝詞をあげてもらった豆で豆まきしましょう。もしも豆がなかったら、代わりに果汁100%の桃ジュースをまいた方が効果的かもしれません(笑)。

 
      
〇インフルエンザの予防法

今年もインフルエンザの季節がやってきました。すでに全国的にも大流行の様子です。ほぼすべての都道府県で流行警報が発せられています。

インフルエンザは、高熱や関節の痛みなどを伴い、人によっては重症化するおそれもある厄介な病気です。普段から「かからないようにする」、「うつさないようにする」という心掛けが大切だと思います。

インフルエンザは飛沫感染と接触感染の2つがありますから、この二つの経路を絶つ必要があります。そのため、よく言われるのが手洗いや、不必要な外出を避けるといったことです。また、十分な睡眠やバランスの良い食事といった普段からの健康管理も免疫力を高めるために重要だと言われています。

それらに加え、最近では歯磨きが効果的であると言われています。

口の中には約30億〜6000億もの細菌が存在すると言われます。これらの細菌はプロテアーゼという酵素を出すのですが、この酵素がインフルエンザウイルスを粘膜に侵入しやすくする働きがあるのです。

もちろん口中の細菌にも存在意義があるので単純に殺菌してしまえばよいという訳ではありませんが、少なくとも酵素の働きを低下させるために、口中の衛生管理が重要ということは言えるでしょう。

実際、介護施設や小学校などで歯磨き指導を徹底したところ、インフルエンザ罹患率が低下したという事例もあるそうですから間違いなく効果はありそうです。

インフルエンザ予防の歯磨きのポイントは、夜はしっかりと、朝は朝食前に、舌も軽くこするという三点だそうです。ただし最低でも3分程度は磨かなければならないようですから、継続するための工夫は必要かもしれません。

 

January 01, 2019

CAVOK通信 第60号

1月1日各社コラム読み比べ

今年も、1月1日の恒例となった各社の一面コラムの読み比べです。
社説とは違った各社の性格が見られて興味深いです。

〇朝日新聞  天声人語

よく入試に出題されたと話題になる天声人語は、冒頭でノベルリの著書
『進歩』から「窒素の固定法」を引き、この技術の開発により農業が拡大し、
世界の人口増大を支えたことを紹介します。

次に「承」としてこの技術の負の側面である毒ガス開発に言及し、
進歩が一直線ではなく正負に振れることに触れ、昨今の国際社会の
ありようは暴力を提言するという人類の進歩に反するようだと話題を転じ、
言論の自由や、教育を受ける権利、国と国の間の垣根を低くすることが
進歩の礎だとまとめています。

朝日新聞らしいリベラルなまとめ方だと思います。

〇毎日新聞 余禄

余禄は今年も作家シリーズです。昨年は子規でしたが、
今年は吉屋信子の句から始まります。

暦に記された月日はまだ誰にも分からないといった内容の
二つの句を引いて、今年五月の改元に思いを巡らせるという導入です。

それを受け中盤では「平成」の時代に私たちが直面した問題を列挙し、
次の時代に私たちは世界をより良くできるか、価値を引き継げるだろうか
と自問します。

そして結論として、私たちの直面する問題の解決には「広い文明的視野を
必要としているに違いない」と結びます。

身近な「暦」から始まり「平成」を経由して世界史的な視点にまで
話題を持って行く視野の広さは元旦らしくて良いですが、
僕にはちょっとスケールが大きすぎてピンときませんでした。

導入部が良かっただけに惜しい気がします。

〇日経新聞  春秋

経済誌らしく春秋の筆者の関心は、「米中貿易戦争」のようで、
その背景を切り取っています。 まず米国の薬物死の増加と
自殺者数の高止まりを紹介し、「分断の深まりや誇りの喪失」が
白人層の一角を追い詰めていると分析します。

一方で中国については、街頭の監視カメラによって個人の行動を
点数化して行政サービスに反映するという監視社会の例をあげ、
その異様なさまに嘆息します。

ところが、そのような鋭い問題を指摘しておきながら、
「他国の市民をも安堵させてくれるお年玉が欲しい」と
初夢のような願望で結びます。

確かにその感覚は良く分かるのですが、これは国際社会の出来事など
およそ関わりあいのない私たちのような庶民の持つ感想です。

コラムとは言え、天下の木鐸たるオピニオン誌の発言としてはどうでしょう。

別に高尚な意見を述べよとは言いませんが、私はちょっとがっかりしました。

〇産経新聞  産経抄

産経妙は明治に改元される慶応四年の元旦の風景から書き起こし、
歴史の大きな変化の節目に遭遇した庶民の代表として高村光雲を取り上げます。

廃仏毀釈という不遇の時代を生きながらも、挫けることなく学び続け
彫刻の世界で大成した光雲のエピソードを引きながら、
変革の嵐に会いながらも「したたかに乗り越えてきた」
先人のたくましさを見習いたいと結びます。

私たちは、時代の変化を感じながらもどうしようもないというのが
生活の中での実感ですが、少しは勇気が湧いてくるようなコラムだと
思います。もちろん、これで全く不安がなくなるという訳ではありませんが。

〇読売新聞  編集手帳

読売の編集手帳は家族といえども「遥かな縁やゆかり」によって今があり、
新しい時を迎えていくのだということを詩人・石垣りんさんの
『新年の食卓』という詩を引用して論じます。

そして各段落の冒頭の漢字と終章をつなぎ、「平成時代ありがとう」
と読ませます。

平成に感謝し、次の時代に期待するという筆者の意図は明快です。

ちょっと技巧に過ぎるきらいもありますが、なかなか面白い構成です。

〇四国新聞  一日一言

最後に地元紙、四国新聞の「一日一言」です。

まず、今年五月の改元を踏まえて、「平成」の出典を記し、
元号の歴史を簡単に紹介します。そして話題を転じ、
統一地方選や北方領土交渉、オリンピックの聖火リレーなど
今年の大きなイベントを紹介し、60年前の「己亥」の
エピソードにも触れたうえで新年が「明るい未来」の魁
となることの期待を結びとしています。

今年の話題となりそうなことを網羅したオーソドックスな
年頭コラムではないでしょうか。

こうして各社のコラムを見てみると、五月の改元を意識した
話題が多かったようです。

とは言え各社切り口は様々で面白いものでした。
個人的には「産経妙」と「編集手帳」がうまいと思いました。

皆さんはいかがでしょうか。

December 26, 2018

正蓮寺 報告会

所属する香川歴史的建造物保存活用会議が調査などのお手伝いをした坂出市の正蓮寺が登録有形文化財へ登録の答申されたことを受けて、その報告会が22日に行われました。当日は百人を超える方々にご参加いただき、盛況のうちに終えることができました。とりあえずホッとしました。
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December 04, 2018

CAVOK通信 第59号

〇大掃除

今年も早いもので、もう12月の声を聞く時期となりました。

年末に避けて通れないことのひとつが『大掃除』です。
ただでさえ忙しい年末がさらに忙しくなることに頭を抱えることも再三です。

そもそも当たり前のように行われている年末の大掃除とは一体何なのでしょうか。

「掃除」の本来の意味は「神仏の場所を清める」ということで、
平安時代から使われていると言われていますから
掃除そのものもこのころ始まったようです。

現在の大掃除の原型は、年中行事として行われていた
「煤払い」と言われます。もとは宮中での年神を迎える行事でしたが、
江戸時代には商家の年越しのための重要な行事として定着していたようです。

「煤払い」は奉公人が新年に里帰りできるよう、旅路の時間を
考慮して旧暦の12月13日に行われていました。

大掃除の最中には、古新聞や雑誌を片付けしていたつもりが、
いつの間にかじっくり読み込んでしまい、他の人たちから
怒られることもしばしばです。

当時も、押入れの奥から出てきた浮世絵や瓦版を見つけて
ついつい読みふけってしまうといった、現代と変わらぬ光景も
記録に残っていたりします。

いずれにしても、一年の煤を掃い、年神様を迎える大切な行事が
大掃除です。

今年も無理のない範囲で励みたいと思います。


〇健康診断あれこれ

今年も健康診断が無事終わりました。

毎年ドキドキするのが血液検査の結果です。
基本的に大きな問題はなかったのですが、
相変わらず中性脂肪が基準範囲を上側でオバーし、
善玉コレステロールは基準値を少々下回るという結果でした。

ここ何年か同じ傾向でしたので、今年は週末に子供と一緒に
身体を動かすことを心がけ、食事にもいくぶん注意して検査に臨んだのに、
例年とさほど変わらぬ結果で少しばかり落胆してしまいました。

中性脂肪の増加傾向と善玉コレステロールの減少傾向は、
心臓発作などの心血管疾患の元凶だけに気になります。

医者に言われるままに薬を飲むのは癪だし、かといって
運動と食事をこの先さてどう改善したものかと悩んでいたところ、
興味深い研究結果を見つけました。

結論を端的にいうと、「エイコサペンタエン酸由来の薬剤が
心血管疾患の予防に効果がある」というものです。

つまり青魚に含まれる油脂が効果的なのです。

さらに、実験を行った米国のジョアン・マンソン博士は
「週に2回以上食事に魚をとりいれること」がお勧めである
とさえ言っています。

こうなると、魚を食べずにはいられません。

とはいえ、毎週鮮魚を買う訳にもいきません。
魚は食肉よりも思いのほか高価だったりします。

とりあえずサバの缶詰やイワシの缶詰あたりを
日常の食生活に取り入れたいと思います。

来年の検査結果の改善を目指して。

参考文献

Newsweek日本語版 2018年11月26日
「魚の脂に含まれる成分が心臓発作や脳卒中の予防に役立つ」との研究結果が相次ぐ
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/11/post-11338.php

November 01, 2018

CAVOK通信 第58号

〇ハロウィンでした

10月31日はハロウィンでした。

諸説ありますが、1997年に東京ディズニーランドで行われたイベントが
日本で行われた最初のハロウィンイベントだと言われています。
最近では日本でもかなり定着してきたようです。

日本をはじめ戦後に導入された地域では、特にアメリカが起源の習慣と
捉えられているハロウィンですが、もとは自然崇拝や精霊信仰を
宗教的背景に持つケルト人の収穫祭でした。
ですから、アメリカ大陸へ移住したピューリタンの間では非キリスト教的な
習慣として強く否定されていましたが、19世紀にアイルランドやスコットランド
からの移民が増えていく過程でアメリカの文化として定着していったようです。

行事としては、皆さんご存知の通り、魔女やお化けに仮装した子供たちが
近くの家を訪ねては「トリック・オア・トリート(Trick or treat. 「いたずらか、
お菓子か」)」と唱え、訪ねられた方は、カボチャの菓子を作り、
子供たちはもらったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティを
開いたりするというもので、もはや宗教的意味はなく形だけが継承されています。

一方で、西日本を中心とした各地には「亥の子」という年中行事があります。
亥の子餅を作って食べ子孫繁栄を祈ったり、子供たちが地区の家の前で
地面を石で搗いて回ったりします。

地域によって細かな点は異なりますが、ハロウィンと同様に子供が神(精霊)の
遣いとして家々を訪ね、神の言葉を伝えるとともに、大人が子供の指示に従い、
それによってモノを貰うという点はよく似ています。

コラムニストの堀井憲一郎さんは、ハロウィンの背景にあるケルトの精霊信仰と
日本人の持つ「八百万の神々」を感じる感覚の共通性を踏まえ、
その感覚を持ちながら土地の恵みと切り離された都市生活者の
新たな秋祭りとしてハロウィンを捉えなおしています。

そう考えると、都市化が進めば進むほど、従来の秋祭り(収穫祭)が
ハロウィンのような宗教性のない、土地の風俗習慣とかかわりのない
イベントに置き換わっていくのかもしれません。

参考文献:現代ビジネス 2018/10/30 
       ハロウィンの夜、なぜ若者は「渋谷で」ハメを外してしまうのか
       https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58202


〇子供と本とその環境

今年も10月27日から11月9日の間は読書週間です。
夜も長くなって読書には最適な季節です。
とはいえ、普段から読書の習慣がないと、読書週間といえども
なかなか本に手が届きません。

その一方で、読書の習慣のある人は読書週間であるなしに関わらず
本を読んでいるわけで、そんな人たちとの差は開く一方です。

確かに、子供のころの記憶をたどってみても本を読む子は
成績が良かったような気がします。このことは「脳トレ」で有名な
東北大学の川島隆太教授のグループの調査によってデータ
としても裏付けられました。

4万人の児童・生徒のデータを分析した結論は、「読書の時間が
長い子供はその時間が短い子供よりも、成績が良い。ただし、
1日の読書時間が2時間を超えると1~2時間程度の読書時間の
子よりも成績は悪い。十分な睡眠時間と学習時間を確保している
子供は、読書時間と成績に『単調増加の関係』がある」というものです。

要するに、読書はした方が成績に良い影響を与えるが、
時間をかけすぎると物理的に学習時間へしわ寄せがいく
ということですね。
これは当たり前と言えば当たり前の結果で、
部活でも同様なことが言えるように思います。

ですが、本と子供の間にはそれよりも決定的で不思議な
関係があることも報告されています。

それはオーストラリア国立大学と米ネバダ大学の研究者グループが、
2011〜2015年に31の国と地域で、25〜65歳の16万人を対象に
行った調査の結果です。

それによると、「16歳の時に家に本が何冊あったかが、
大人になってからの読み書き能力、数学の基礎知識、
ITスキルの高さに比例する」ということです。

もう少し具体的に言うと「本がほぼない家庭で育った場合、
読み書きや算数の能力が平均より低かった。
自宅にあった本の数とテストの結果は比例し、
テストが平均的な点数になるのは自宅に80冊ほど
あった場合だった」そうです。

しかも「言葉の読み書き」の能力と「数字」的な能力のどちらも
強化することがわかったというから驚きます。

さらに不思議なのは、それらの本を読めることや、
多くの本を読んだことが読み書きや数学の能力の
開花に影響しているわけでもないようです。

今のところの結論は、「親や他の人たちが本に囲まれている
様子を目にすること」つまり、そんな環境が子供たちの周囲に
あることだけだといいますから、ますます理解に苦しみます。

人間の能力は、私たちが思っている以上に複雑で
奥が深いものなのだろうと思います。

参考文献:東洋経済ON LINE 2018/10/27
       本をよく読むのに「成績が伸びない子」の急所
       https://toyokeizai.net/articles/-/245535
 
       Newsweek日本版 2018/10/18
       子どもの時に、自宅に紙の本が何冊あったかが一生を左右する        
       https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/10/ok-11.php

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